高層タワーでの地震

また震度6強・M7.4の大きな地震がありました。

被害に遭われた方、心配で眠れなかった方、

地震の影響でお仕事に支障がある方々にお見舞い申し上げます。

 

 

昨夜、地震が起こったときはまだ起きていて

『震度6強』のニュースを観たときに、11年前の東日本大震災のことを

思い出したので、回顧しようと思います。

 

 

当時、私はサービス残業上等のブラック企業でサラリーマンをしており

心身ともに余裕がなく、他人に優しくない尖りまくりの人間でした。

うさぎしか愛せない人間でした(今もかな)

 

*      *      *

 

あの日、私は超高層ビルの頂上に近い高層階にあるオフィスにいた。

 

朝から課長が

「今日、俺の誕生日!」

と、ずっとアピールしていた。

 

誰かが『おめでとうございます』と言わないと収まらないのでは……

というくらい『俺、誕生日!』と連呼していた。

 

おめでとうと言ってあげたのは、部長だけだった気がする。

 

もちろん私は何も言わない。

「いい歳したおっさんが、なんで誕生日アピールやねん!」

と心の中でつっこんでいた。

 

 

その日はちょうど金曜日で、15時から定例会議の予定があった。

 

「あと15分後に会議か~だるぅ~」

と思っていたら

下から突き上げるような揺れ。

 

地震はよくあることだから、慣れているつもりだったけれど

今まで体験した地震とは規模が全然違った。

 

日本人は小学生の頃からよく訓練されているから

指示やアナウンスがなくても社員たちは一斉にデスクの下に潜った。

 

激しい揺れは一向に収まらない。

 

高層階にいるから尚更ひどい揺れを感じる。

 

キャスター付きの椅子たちが前後左右に勝手に動き回る。

収まらない揺れ、軋む窓枠、ゴム板のようにしなるビル。

 

ここからそれぞれの人間性が見えてくる。

 

課長が、荷物も上着も持たずに真っ先にフロアから飛び出した。

隣や後ろの席の女の子たちがかなり泣いている。

そして私は取材時の撮影用に持っていた一眼レフを動画モードに切り替えて
揺れる社内の様子をずっと撮影していた。

 

斜め向かいの席の同僚が「こんなときに撮影するな!」と言ってきた。

「今撮らないでいつ撮るん!?」と返した。

 

部長の席の後ろに並んでいたトロフィーや表彰楯が一斉に落ちる様子、

天井からパラパラと粉が落ちてくる様子、

全部動画で撮った。

 

周りでは

「死んじゃう!」
「怖い!!」

と泣きわめく女子社員たち。

 

「死なない!このビルは絶対倒れない!
超高層ビルは倒れない造りになってる!」

と、叱咤する私。

 

ビルから避難指示が出て、私たちも荷物や上着を持って

外に避難することになった。

 

当然エレベーターは全基、止まっている。

 

大泣きしていてしっかり歩けない女子の肩を抱きながら

ビルのほぼてっぺんから非常階段で下まで降りていく。

 

途中で何度も大きな余震があり、

その度に女の子が歩けなくなって泣く。

 

『すごいな……そんなに怖いんだ。
恐怖を感じるってことは死にたくないってことだよな。
すごいなー』

と、仕事のストレスで常に希死念慮があった私は変なところで感心しながら

 

「大丈夫だから!マジでビルの中のほうが安全なくらいだから!
下敷きになって死ぬとかないから!」

と励ましつつ1階まで降りていった。

 

1階で社長の周りに全員集合。

真っ先に逃げた課長がいた。

目が合うと、彼は下を向いた。

 

『荷物も上着もなくて、どうすんだろ?
階段使ってあんな上まで荷物取りに戻るの?膝壊すでしょ!うける笑
あんな情けない人間には絶対なりたくないわー』

泣いている女性部下を放置し、真っ先に1人で逃げた課長に対して

そんな気持ちになった。

 

 

隣りにいた同僚にケータイのワンセグTVを観せてもらう。

 

信じられないような津波の光景が繰り返し流れていた。

 

ちなみに私は、未だに津波の映像が観られない。
11年間、ニュースで映像が流れそうになるとTVを消す。

あの津波にたくさんの人が巻き込まれたと想像するだけで
吐き気がしてしまう。

 

しばらく待機時間が続いたあと、

社長の判断で、その日の業務は全て終わり。

すぐに帰宅するように命じられた。

 

課長が大声で何か言っている。

「俺の誕生日なのに最悪な一日になった!
これからずっと俺の誕生日が来る度にこのことを思い出すじゃん!」

 

こんなときにも誕生日アピールか……。

 

おかげさまで、今でも私は

3月11日は東日本大震災があった日、

そして、部下を置いて真っ先に逃げた課長の誕生日と

嫌すぎる記憶が残ってしまった。

 

 

泣いていた女の子と駅に向かう。

当然、駅のシャッターは閉まっている。

 

ケータイの通話やメール機能など通信手段が断たれている状況の中で

女の子は友人とつながったらしく

「これから車で迎えに来てくれるみたいなので、一緒に待ちましょう」

と言われた。

 

近くの居酒屋に入って待つことにした。

 

「火を使う料理は出せませんが、漬物とかならありますので」

とのこと。

 

こんなときにも営業していて強い。

 

車のお迎えは、待っても待っても来ない。

 

当たり前。

道路だって大混雑の大渋滞。

 

漬物だけで何時間も居酒屋に居座り続けたけれど、

もう22時を過ぎている。

 

 

「うさぎが心配だから、私は行くよ」

 

とにかくうさぎが心配だった。

 

うさぎのいる部屋には大きな本棚があった。

あれが倒れてうさぎが下敷きになったら……

最悪なパターンばかり頭をよぎる。

 

私だけ先に居酒屋を出た。

 

ここから西武新宿駅まで歩くしかない。

道も分からないし、7cmヒールのブーツだけど歩くしかない。

 

とりあえず人が流れている方へ付いてった。

 

大きな通り沿いにあるビルの入り口で警備員さんが

「トイレ貸せます!」

と、アナウンスしていた。

 

遠慮なくお借りした。

 

トイレでブーツと靴下を脱いでみた。

歩きながら「なんか足先がにゅるにゅるするーこれ血でしょ」と思っていたら

案の定。

 

ヒールだから足が前のめりになるし、

先が尖っているブーツだから、爪が指に食い込んでかなり流血していた。

 

その時は痛みを感じなかった。

ただ、にゅるにゅるした血の感触が気持ち悪かった。

 

絆創膏を貼って、応急処置。

 

帰るときに、そのビルで働いている社員と思われる方が飴をくださった。

優しい。

私以外みんな優しい。

 

いつも車窓から見える光景を頼りに

「なんとなくあっちが新宿かな」と勘で歩き続けていたら

ドコモタワーが見えてきた。

 

勘は当たっていた。

 

流血足で2時間歩いて、24時頃に西武新宿駅に到着。

 

西武線は、22時には運転再開していたらしいけれど

改札前は大混雑で入場制限をしていたため

私が乗れたのは25時。

 

家に着いたのは何時だったのか覚えていない。

 

とにかく真っ先にうさぎ部屋に向かい、

うさぎの安全を確認しに行った。

 

うさぎは無事だった。

部屋の真ん中でいつも通りの様子だった。

 

本棚も倒れていなかった。

ただ、本棚の本や飾ってあった写真立てはほぼ床に落ちていて

それをうさぎが、ことごとくかじっていた。

 

いつもならかじると「ダメ!」という飼い主がいないからかじり放題。

 

そのときの写真立てがこれ↓かじった跡がいっぱい。

地震で倒れた写真立て

 

当時飼っていたうさぎが写真の子↓

地震で倒れた写真立て

 

うさぎが無事で良かった。

とにかくそれだけ。

 

ケータイが繋がらないから

親兄弟にも親戚にも友達にも連絡できない。

 

でも、うさぎが無事ならそれでいい。

私の傍にはうさぎさえ居ればいい。

 

*      *      *

 

こんなことを、地震後の夜中にぶわっと思い出しました。

 

 

今も、もし大災害・大地震が起こったら

うさぎたちをどうするかだけを考えています。

非常時持出防災バッグの中身を見直すの話

*     *     *

 

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